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◆ほおずき市 ◆災害に対する備え・・・追記あり [防災・減災シリーズ]

◆ほおずき市 (再掲)

 今年もほおずき市の季節がやってきた。

 ほおずき・・・漢字で書くと『鬼灯』と書く。

 ほおずきの果実を死者の霊を導く提灯に見立てて、盆棚に飾る風習があることから、『鬼灯』と書くのだろうか?

5ほおずき.jpg

 7月の上旬には日本各地でほおずき市が開かれるが、その中でも有名な浅草寺のほおずき市は、一際多くの人々が詰めかける。

 この浅草寺のほおずき市にお参りすると、一日お参りしただけで、なんと四万六千日(しまんろくせんにち)お参りしたのと同じだけのご利益を受けることができるといわれている。四万六千日というと、実に126年を超える。

3ほおずき.jpg 浅草寺では室町時代から月に1回の『功徳日』を設けて、この日にお参りすると百日分のご利益を頂けるとされてきた。中でも7月10日は特別で、千日分のご利益を頂けることから『千日詣』と呼ばれた。これが江戸も半ばの享保年間になると千日どころか『四万六千日』のご利益を頂けると言われるようになった。

 四万六千日は、関西方面では8月10日とするところが多いようだが、関東では7月10日とするところが多い。

 一方ほおずき市の始まりは、港区は芝にある愛宕神社の縁日に始まったと言われている。ほおずきは、煎じて飲むと子どもの癇の虫や女性の癪に効くといわれていたことから、縁日でお祓いを受けたほおずきを売るようになった。

 愛宕神社の縁日を、浅草観音様の功徳日にあやかって『四万六千日』と呼んでいたが、四万六千日だったら浅草寺だろうということで、浅草寺境内でもほおずき市が開かれるようになり、いつしか愛宕神社より有名になったという。

 私もこの御利益を得たいと思い、久しぶりにぶらっと浅草に出かけた。

仲見世から宝蔵門に続く参道にはびっしりほおずきを売る店が立ち並んでいる。店の前では、手ぬぐいを棒に巻いて髪をアップにまとめた頭に載せ、黒い前垂れをしているいなせなお姉さんが両手にほおずきの鉢を持って、行き交う人々に声をかけている。売られている鉢には、青い実が多いが、中には綺麗な橙色に染まった実が付

いていたり、緑から橙色のグラデーションになっている実がついている。子どもの頃は、この実で音を鳴らしたものだ。

 そして、一つひとつの鉢には、かわいらしい江戸風鈴が付いていて、夏の風情を盛り立てていた。

 『四万六千日』の由来は定かではない。人間の生物学的な寿命は126歳といわれていることが、この『四万六千日』と一緒であることは、単なる偶然とは思えない。

 米1升が、米粒4万6000粒あることから、米1升を人間の一生にかけているとも言われている。

 何はともあれ、室町時代から続いてきたこの功徳の日『四万六千日』、日本のすばらしい伝統をいつまでも守り伝えたいものだ。



◆水害

今年は九州北部をはじめ各地で大雨による甚大な被害がでた。被災された方々には心からお見舞い申し上げたい。

首都圏においても、一昨年の2015年9月には、鬼怒川の堤防が決壊し甚大な被害が発生したが、すでにその記憶は薄れ、危機意識は継承されていない。

昨年は茨城県常総市で堤防が決壊し、大きな被害がでた。その際人口8万人の常総市で1300人もの人々が自衛隊などのヘリコプターで救助された。

もしこれが東京東部の河川の堤防が決壊した場合はどうなるのだろうか。

内閣府中央防災会議が行った『首都圏の大規模水害における被害想定をご覧いただきたい。

水害.jpg

(→http://www.bousai.go.jp/fusuigai/pdf/higaisoutei_gaiyou.pdf

右上の荒川右岸低地氾濫の被害想定は、北区の赤羽付近で荒川右岸の堤防が決壊したことを想定している。

浸水域には120万人の人々が暮らすが、その人たちをヘリコプターで救助するとなるといったいどれだけの資材と時間がかかるのか・・・

 

これは余談だが、荒川と隅田川の堤防は、右岸(海に向かって右手が右岸、左手が左岸)と左岸で高さが違うのをご存じだろうか?

実は西側の右岸(都心側)が、東側の左岸より1.5m高くなっているのだ。

つまり、川の水があふれるときは、東側に流れ出して、都心を守るように『設計』されているのである。

荒川左岸の足立区、墨田区、江東区の方々は、より水害にたいしても『そなえ』て欲しいものである。


◆地震

以前からこの場でも「日本は地震の活動期に入っている」という事を述べてきたが、ここにきてさらにその勢いを増している。次の表は、以前にもご紹介した10年毎の震度5弱以上の地震の発生回数を数えたものだ。

すでに今年に入ってから震度5弱が3回、震度5強が3回、合計6回も発生していて、この表のデータを更新するのが忙しいくらいだ。

震度回数表.jpg

21世紀に入り、近代日本において未だかつて経験をしたことのない地震の活動期に入っている。

一人でも多くの人に、自分の命を守る、そして家族の命を守る術を身につけて、備えて欲しいものである。



◆7月には神奈川県開成町で町民向けに防災・減災の講演をさせていただく。2017.01.20親子防災教室blog.jpg

また、8月には泉佐野市で2回サバイバルに関する講演をさせていただく。

 

東京でも9月に23区内の某所で講演させていただく予定だ。詳細が決まり次第、またご案内させていただく。

 

講演で、「防災力」は「想像力」だとよくお話しをしている。

人間はいざという時に自分の理解を越えた事態に遭遇すると凍り付いてしまい、すぐに行動を起こせる人はいない。

自分がおかれた状況を瞬時に分析し、身を守る行動を起こすには、普段から「この場で地震があったら、あるいは、火災にあったら、あるいは、大雨がふったら、どのような状態におかれるのか」を想像し、それに対してどのような行動をとれば最善なのかをシミュレーションすることが大切だ。

 

日ごろからそのような訓練をしておくことによって、いざという時に自身の、そして大切な家族の命を守ることができる。

 

【追記】

右のチラシが3月に実施したものでした。

失礼しました。改めめて、以下に今回のチラシを貼り付けます。

既に定員を上回る申し込みをいただいているようです。

ご興味があれば、「いずみさの女性センター」さんまでお問い合わせください。


チラシ2.jpg

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【5/23追記】◆2017 BBQ最終案内 ◆面白アプリで加工した写真 [日常の中の出来事]

【5/23追記】
心配されていたお天気ですが、いろいろな天気予報サイトを確認すると[晴れ][曇り]のマークで最高気温はさほど高くないことから、絶好のBBQ日和になるようですね。

お子様の人数も入れると、24人となりました。
多少の人数が増えるのは問題ないので、もし当日でも気が向いたら、お越しください。
新宿から京王線の特急に乗ると30分ちょっとで高幡不動に着きます。
高幡不動からは、以下のリンクをご覧いただければ迷わず来られると思います。

なお当日の急なご連絡はメールフォームからご連絡いただいた皆様には私の連絡先の番号をご連絡いたします。
・・・・追記以上


前回の記事でもご紹介しましたが、今年は、5月28日日曜日に毎年恒例の高幡不動駅近くの浅川ふれあい橋たもとでやらせていただきます。

週間天気予報が出ましたが、[雨]マークがでていますね(^^;

まぁ、多少の雨であれば橋の下でできると思いますので、やりたいと思います。

(河川敷か、あるいは河川敷北側の空き地のどちらかでやります。当日の現場の状況次第で決めたいと思います。)

?

ふれあい橋までの道順は、次の記事をご参考になさってください。

http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2012-05-04


☆彡 時間は、11時から15時くらいまでを予定しています。

準備のお手伝いをしていただける方は、10時くらいに来ていただければ幸いです。


☆彡 参加希望の方は、左上のメールフォーム、もしくはコメント欄からお知らせください。

参加費は大人1500円、中学生以下無料

毎年のように食材は用意しますので、飲み物はお好きなものをご持参ください。

?

参加表明いただいた方々は次の通りです(以下順不同)。

馬爺さん えーちゃんさん 昆野誠吾さん親子 さる1号さん 空のれいさん 多摩湖の親子さん ちょいのりさん ちょろっとぶぅさん 美美さん chibidoraさん habatanさんとお友達 kenjpさん kinkinさん kiyoさん koh925さん parasolpineさん suzuran6さん YUTAじいさん 駅員3

 

さて写真が何もないと寂しいので、最近はまっているものをご紹介しましょう。

これが普通の写真ですが・・・

子供広場.jpg

ちょっとアプリで加工すると・・・

子供広場c.jpg

?

これも普通の画像です。

昭和記念公園.jpg

ちょっと空間を捻じ曲げて、中心に地球の画像をはめこんでみると・・・

昭和記念公園c.jpg

ここまでは普通の写真でしたが、パノラマ写真を加工してみると

日比谷公園c2.jpg

捻じ曲げ方をぐるっとひっくり返してみると

日比谷公園c1.jpg

さらに次の写真は360度画像です

友が島.jpg

これをぐるっと捻じ曲げてみると

友が島c.jpg

最後に乗鞍の標高2千数百メートルから眺めた北アルプスの山々のパノラマ写真を加工してみました。

乗鞍c1.jpg

いかがだったでしょうか。

アクションカメラも面白いし、こんな加工のできるアプリも楽しいですね。

そうそう、君の名は風に加工できるアプリにもはまっています(^^)

四ツ谷.jpg

ここは、ラストシーンで感動的な出会いをするところですね。

この近くに非常興味深い煉瓦があって、煉瓦を眺めていたら、ただの階段に妙に人だかりができているので、坂道フリークでもある僕は「あなた方は『階段』、あるいは『坂道』好きなんですか?」と聞いたら、なんと「『君の名は』の聖地巡礼です。僕は青森からきました。」「私は福島です。」という答えが返ってきてビックリでした(^^;っっ

そしてあらためて、撮った写真が上の写真です。

実はこの左手にある神社の北側に江戸時代に築造された高さ20mくらいの石積みの擁壁があるのですが、ここも非常に興味深いものがあります。・・・・おっとここら辺でやめておかないと、筆が止まらなくなります(^^;

ここの擁壁については後日改めて・・・・書く機会があるかなぁ・・・・っっ

 

◆BBQのお知らせ ◆東京湾要塞の一翼を担う千代ケ崎砲台3 [煉瓦研究ネットワーク東京]

駅長の旅立ちに際して、多くの方々から心温まるコメントをいただき、まことにありがとうございました。


◆ご連絡

☆彡 皆様方から「今年のBBQはいつやるんだ??」とのご質問をいただいております。

アップが遅くなり申し訳ありません、今年は、5月28日日曜日に毎年恒例の高幡不動駅近くの浅川ふれあい橋たもとでやらせていただきます。

(河川敷か、あるいは河川敷北側の空き地のどちらかでやります。当日の現場の状況次第で決めたいと思います。

 

ふれあい橋までの道順は、次の記事をご参考になさってください。

http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2012-05-04


☆彡 時間は、11時から15時くらいまでを予定しています。

準備のお手伝いをしていただける方は、10時くらいに来ていただければ幸いです。


☆彡 参加希望の方は、左上のメールフォーム、もしくはコメント欄からお知らせください。

参加費は大人1500円、中学生以下無料

毎年のように食材は用意しますので、飲み物はお好きなものをご持参ください。


◆近況

多くの方にご訪問いただき、niceやコメントありがとうございます。

相変わらずの更新頻度ですが、ご訪問いただいた皆様のところには毎日少しづつではありますが、お邪魔させていただいております。


3月の泉佐野での親子防災教室「ボーイスカウト流サバイバル術」はキャンセル待ちがでるほどの大盛況で、参加された皆様にはご満足いただけたのではないかと思います。

地元のローカルテレビでも当日の様子を放映していただき、ご覧になられた方も多いのではないかと思います。

また8月に親子防災教室の開催のリクエストをいただき、準備中です。


◆煉瓦

さて、ここからが本題です。

100千代ケ崎砲台配置図.jpg今まで2回にわたって千代ケ崎砲台の様子をアップしてきましたが、今回はいよいよ最終回となります。

棲息掩蔽部を出て一度柵門まで戻ると、左手から(配置図上では上から右側に回り込んで)砲台上部へと向かいます。

この日は抜けるような青空でお日様が照り付けて、記録写真を撮るには陰影が強すぎて苦労しました。

配置図をご覧いただくと、上から第三砲座、第二砲座、第一砲座と3基6門の砲座があります。

現在の第三砲座は、昔自衛隊の手により埋め立てられていて、平坦な土地となっています。

115塁道入口.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年度横須賀市教育委員会さんでは、この埋め立てられた第三砲座の発掘を計画されています。


第二砲座は、一度埋め戻されましたが、再度掘り出されたため、よく見ると土手下の笠石があちこちで崩れています。

137第二砲座2.jpg

第一砲座は、幸いに埋め戻されることがなかったため、保存状態は良好です。

前回アップした砲座の写真は高塁道(砲座と砲座を結ぶ隧道)から第一砲座を撮ったものです(次の写真は再掲)。

128第一砲座2.jpg
次の写真は、上部に写っている隧道が砲座と砲座を結ぶ高塁道で、上の写真は、この隧道の入り口から撮ったものです。
128第一砲座4.jpg
次の写真は砲座の中から高塁道の入り口を振り返ったところです。
128第一砲座.jpg

 

砲座の周辺にはアーチ型のへこみがありますが、ここは弾薬庫から引き揚げた砲弾を並べるロッカーの役割を果たしていました。これは大小の違いがありますが、友が島の観測所にも見ることができました。

 

両翼観測所と砲座の間は土管を埋設して伝声管としていました。

次の写真は砲座からみた伝声管の内部です。

129第一砲座伝声管.jpg

 

千代ケ崎を訪れた日はとてもお天気がよく、西を見ると富士山が綺麗に見えていました。

きっと、明治の世にこの砲台に配属された兵士たちも同じ風景を観ていたのでしょうね。

富士山2.jpg


東に目を転じると、浦賀水道を行き交う大型船がおもちゃの船のようで、手を伸ばせば掴めるように観えます。(千代ケ崎から房総半島を望んだちょうどいい写真がなかったので、浦賀の渡しの写真でごまかします(^^;;っっ)

101浦賀の渡し.jpg

そして海の向こうには房総の山々が一望できて、昔と変わらぬであろう風景に見とれてしまいます。

 

目を近くに転じると、冒頭の配置図の右下外側に位置する場所に地下施設の排気口が見えています。

煙突のように高さ2mくらいのコンクリートの平べったい枡状のものが建っていますが、これは本来上部のみが地上に出ているものです。おそらく周辺の地面を切り取って整地したため、本来地下に埋められていた部分が露出したのでしょう。

139地下施設外部排気口.jpg

ここには陸正面砲台(浦賀湾、久里浜に上陸してくる敵に対する防御を目的とし、臼砲、カノン砲、機関銃座からなる)の棲息掩蔽部、あるいは弾薬庫があるものと思いますが未確認です。

ちなみに今まで紹介した第一砲座から第三砲座は、浦賀水道に侵入してくる敵艦船からの防御が目的で、海正面砲台と言います。


次の排気口の写真は紀淡海峡にある由良要塞の深山砲台の換気口です。

夏島砲台にあるものも、ここ千代ケ崎砲台にあるものもほぼ同一の作りをしています。

 

換気口地上部2.jpg
次の写真は、内部の吸気口になります。この写真も深山砲台のものを掲載させていただきました。
換気口吸気部2.jpg

このほか丸い形状で土管のようなものが地上まで伸びているものもあり、猿島や友が島、深山にもありました。

おそらく、築造年代の違いなのでしょう。

 

冒頭の配置図を下の方まで進むと、地図の外側に小さな谷を挟んで向かいの小山にも煉瓦の隧道が見えます。ここが右翼観測所です。

138右翼観測所地下入口2.jpg

 

138右翼観測所地下入口.jpg

 

ここでも焼き過ぎ煉瓦を45度の角度に配置されていることが確認できます。
次の写真は、右翼観測所の主観測所(写真左)と、補助観測所(写真右)です。

2017.05.02右翼観測所 (1).jpg

写真出典 近代築城遺跡研究会編 (由良要塞Ⅱ26ページ))

 

ここ千代ケ崎砲台の左翼観測所は、配置図をご覧いただくと第三砲座の上に、地下に配置された『左翼観測所附属室』が記されていますが、観測所本体は、残念ながら原型をとどめていません。


さて、3回にわたって東京湾要塞の一翼を担う『千代ケ崎砲台』をご紹介してきましだか、如何だったでしょうか?

千代ケ崎砲台の特徴をあげるとすれば、以下の三点でしょう。、

 1.焼過煉瓦の使い方

   棲息掩蔽部の正面外壁は、焼過煉瓦を使って雨水や湿気の侵入を防いでいる

   隧道入口などに焼過煉瓦をななめ45度の二等辺三角形のように積んで、対候性を増している

 2.ねじりまんぽ(斜架拱)が使われている

   隧道に斜めに交差する出入り口3か所に東京近郊では初めて確認されたねじりまんぽの技法が使われている

 3.要塞築城技法後期の特徴

   要塞築城技法は『砲台築設要領』に基づき築かれていますが、その要領の書かれた明治10年代(猿島砲台がこれに属します)の前期、改訂された明治20年代前半(夏島砲台がこれに属します)の中期、そしてさらに改訂された明治20年代後半の後期の三期に分類されますが、ここ千代ケ崎砲台は後期の特徴をよく表しているように思います。


次回は、いよいよ紀淡海峡(紀伊半島と四国の間)を守る由良要塞についてご紹介させていただきます。

一足早く写真を数枚アップさせていただきましたが、もうここはおそらく何回いっても興味が尽きることはないと思います。

今まで東京湾要塞の『猿島砲台』、『夏島砲台(非公開)』、そしてここ『千代ケ崎砲台(非公開)』について学んできました。

その後で、由良要塞の本土側にある『深山第一、第二砲台』、さらには海を渡って『友ヶ島砲台』を巡ると、東京湾要塞と由良要塞の様々な共通点や相違点など、非常に興味深く見て回ることができました。お読みいただく皆様も、次回以降の記事と今回の千代ケ崎砲台の記事を比較してご覧いただくと、面白いかと思います。

 

由良要塞にいったおかげで、横須賀にも再び確認したい事項が出てきました。
なんとか近日中に和歌山で見たことを確認するために、横須賀観音崎砲台に訪れたいと切に願っているのですが・・・いつになことやら(^^;;


昨年5月に友ヶ島に念願の初上陸を果たしたわけですが、今振り返ってみるとなんの準備もしていなかったため、非常に多くの見落としがありました。

今回はその見落としを補完すべく訪問したものの、ちょっとしたハプニングなどあり、あと数回は訪問させていただきたいと考えております


乞うご期待(^_-)/

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お知らせ [日常の中の出来事]

ナイアガラの駅長が、4月23日に銀河鉄道999に乗ってアンドロメダ星雲へと旅立ちました。2017.05.01 999 2.jpg

4月26日に近親者のみで出発式をさせていただきました。

生前は多くのみなさまにご厚情いただき、感謝申し上げます。

 

以下の日程でお別れ会を開催させていただくことになりました。

詳細は決まり次第お知らせさせていただきます。


目黒パーシモンホール小ホールにて

主催:駅長お別れの会 実行委員会

日時:2017年 6月9日(金)18~21時


なお、お店は平常運行に復帰しております。

私は5月3日以外はお手伝いに行っておりますので、よろしければご乗車ください。


http://www.niagara-curry.com/


5月3日は、お台場で開催される『おぎやはぎの愛車遍歴フェスティバル2017』にM38君とともに出ています。


http://www.bs4.jp/aisya-fes2017/


遅れておりました『千代ケ崎砲台3』は数日のうちにアップさせていただきます。


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東京話湾要塞の一翼を担う千代ケ崎砲台2 [煉瓦研究ネットワーク東京]

100千代ケ崎砲台配置図.jpg大切なことを申し上げていませんでした。

千代ケ崎砲台は、戦後いったん民間に払い下げられた後、その一部を国が買い戻して海上自衛隊の通信施設が建設されました。

現在施設は撤去されていますが、防衛施設庁の管理下にあり一般公開はされていませんので、この記事をお読みになられて「よし行ってみるか!」と思われても、残念ながら中に立ち入ることはできません。


横須賀市教育委員会さんでは、今後見学会の開催を計画されるようなので、時々横須賀市のHPを覗いてみていただければと思います。


 

前回書き忘れましたが、ある痕跡を探して柵門に至る軍道の海岸沿いの入口付近を詳細に観察しましたが、なんの痕跡も見つけられませんでした。

何を探したかというと、今までの経験から軍道の入り口にはコンクリート製、あるいは木造の歩哨所があったのではと考えたからです。


107柵門.jpgさて、時空を柵門入口まで戻しましょう。

まずは上の地図をご覧ください。

上部中央に柵門があり、門を入ると正面に土塁が築かれています。ここの大部分の地上施設は、山を崩して切土で造られていますが、柵門正面の土塁盛土で造られています。

土塁を地図上で下に進むと、その先で分岐して左に緩やかに坂を下って露天塁道へとつながり、右手に進んで坂を上ると砲座の上の空間に登ることができます。(次の写真

112土塁左回り.jpg

今回は、土塁を地図上の上から左に回り込んで進みます。緩やかな下りの坂道を進むと、土塁を右から巡ってきた道と合流し、露天塁道に繋がっています。

114塁道入口.jpgさて、地図から離れて実際の塁道に降り立ち、進んでいきましょう。右の写真をご覧ください。

右にカーブしながら下っていくと、その先で左に大きな弧を描いて、露天塁道が続いています。

カーブの終わる手前左手に、第三砲座に附属する第三弾薬庫に繋がる交通路があります。

交通路の天井はアーチを描いていて入口は煉瓦積みで施工されているものの、内部のアーチ部分はコンクリート造になっています。

118第三弾薬庫交通路.jpg

さらにこの交通路はカーブしている塁道に対して斜めに開口部が切られているため、アーチは側壁に対して渦を巻くように積まれる斜架拱(ねじりまんぽ)で積まれています。

斜架拱は、関西、特に岐阜、京都大阪などに多く見られる技法で、関東では、旧信越本線の横川⇔軽井沢間の隧道二か所で使用例が知られているのみで、ここ千代ケ崎砲台に用いられていたことは大発見です。千代ケ崎にはこの他二か所の合計三か所に斜架拱が用いられています。

136左翼観測所交通路入口斜架拱.jpg

斜架拱については、過去に書いたこちらの記事をご覧ください。

⇒ねじりまんぽ1 http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2015-11-20

⇒ねじりまんぽ2 http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04

⇒ねじりまんぽ3 http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2015-12-31

⇒その他関連記事 http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2016-07-10


この交通路の少し先の右手に、雨水を貯める濾過槽と貯水槽が並んでいます。雨水は塁道の端に埋め込まれた排水路を流れてくると、貯水槽に誘導され礫や砂でろ過されて、その隣の貯水槽に貯まります。排水路には砂が充填されていて、流路にもろ過機能をもたせていました。

排水は二系統あり、油分のある砲座や弾薬庫の排水(汚水)は、生活用水に使用する雨水の流路とは別系統の流路で排水されるように設計されています。

119第二貯水所濾過槽.jpg

120第二貯水所貯水槽汲み上げ口.jpg

濾過槽・貯水槽の対面側には、第三棲息掩蔽部があります。

側壁から煉瓦一個分程度後退させて設けられており、全面に焼過煉瓦が使用され、雨水の侵入を防いでいます。次の写真は全く同じつくりの第一棲息掩蔽部のものです。

131第一棲息掩蔽部.jpg

中央の出入り口と左右の窓の上部は小さなアーチを描いており、オランダ積みで煉瓦が積まれています。内部に入ると天井部分の煉瓦積みは入口のみで、その奥はコンクリートで施工されている点は、前述の交通路と同じで、非常に興味深いところです。

この地点から塁道の前方にを見渡すと、露天空間と隧道が交互に続いていて、光の届く明るい露天部分と、暗い隧道部分が織り成す明暗は、なんとも不思議な雰囲気を醸し出しています。

117塁道隧道部露天部の連続.jpg

この景色を見た瞬間、北海道M38君で駆け抜けたときに立ち寄った帯広の北海道ホテルのロビーに隣接するチャペルを連想してしまいました。雰囲気がよく似ていますね。

露天塁道の被覆壁は、柵門の石垣と同じく房州石で積まれています。

次の写真は北海道ホテルのチャペルの様子です。

2013.09.06帯広.jpg

東京湾要塞は、その建設時期により依拠する建設要領から、明治10年代、明治20年代前半、明治20年代後半に分類されます。

明治10年代に類する猿島砲台の棲息掩蔽部が次の写真です。

141猿島棲息掩蔽部.jpg

わかりづらい写真しかなかったのですが、2013年に猿島を訪問した時のものです。

石造りの側壁からやや突出するように棲息掩蔽部の入り口が作られ、煉瓦はフランス積みになっています。

次の写真は夏島砲台の棲息掩蔽部ですが、こちらは明治20年代前半に類され、棲息掩蔽部は、石積みの側壁から風雨を避けるため、煉瓦でアーチを造って入口と窓は大きく後退しています。またこの時期の特徴は、中央の入り口と左右の窓の上部はアーチではなく横に一本石を渡して造られています。煉瓦は一部イギリス積みが用いられているところもありますが、大部分はオランダ積みです。煉瓦の積み方については、以下の記事をご参照ください。

http://brick.main.jp/knowledge.html

夏島2.jpg
そしてここ千代ケ崎砲台の特徴は、明治20年代後半に類されます。

第三棲息掩蔽部は、海上自衛隊の施設の痕跡で、アルミのドアが付けられて、入ることはできません。次の写真は第一棲息掩蔽部のもので、比較のため改めて掲出しました。

131第一棲息掩蔽部.jpg

第三棲息掩蔽部のすぐ先で隧道が始まります。隧道の入り口は、対候性を考慮して、焼過煉瓦をほぼ45度に配して積まれています。この二等辺三角形を描くように焼過煉瓦を用いられるのは、隧道の入り口部分だけではなく、濾過槽の入り口など、露天部分に面する様々な部位に用いられています。

122焼き過ぎ煉瓦の配置.jpg

121焼き過ぎ煉瓦の配置.jpg

隧道の中央部分に、第三砲台と第二砲台を結ぶ高塁道に繋がる交通路と、第二弾薬庫があります。

弾薬庫は前室と後室に分かれていて、後室には交通路から入るようになっています。

前室と後室の間には細い通路状の点灯室があり、前室、後室それぞれに二か所窓が開いていて、その窓越しにオイルランプで灯りをとっていました。火気厳禁の火薬を扱うことから設けられた工夫ですね。

次の写真は、前後の弾薬庫の間にある点灯室です。

123第一弾薬庫横通路.jpg

さらに点灯窓が次の写真です。後室ろから露天隧道を覗いたところです。点灯窓が3つあるとはいえ、さぞかし暗かったことでしょう。壁や天井が白く塗られているのは、灯りを反射して少しでも明るくするためでしょう。棲息掩蔽部はこのように白くは塗られていません。

124第一弾薬庫灯り取り用窓2.jpg

後室の天井には二か所に丸い穴が開いていて、真下にも数十センチの深さで丸く穴が開いています。ここは揚弾井と呼ばれ、揚弾機が据え付けられていて、ここから砲弾を引き上げて、砲座に運ばれたようです。

次の写真は、床に穿たれて凹部分です。

125第一弾薬庫揚弾機基部.jpg

次の写真は、天井に穿たれた穴を見上げたところです。

穴の先に見えている一文字のようなものは、揚弾機の痕跡です。

126第一弾薬庫揚弾機天井.jpg

次の写真が高塁道(弾薬庫の上)から揚弾井を覗いたところです。

127揚弾井.jpg
127揚弾井2.jpg

天井部分には、揚弾機を据え付けた跡が残っていますが、終戦直後の混乱期に、金属性のものはみな持ち去られたようで、跡が残るのみです。

高塁道を揚弾井を越えて先に進むと、砲座に出られるようになっています。砲座は2つ並列に並んでいるものが第一砲座から第三砲座まで3か所、計6門の28糎榴弾砲が配備されていました。

128第一砲座2.jpg

さて、砲座の様子は後回しにして、塁道に戻ります。

第二弾薬庫のある隧道を抜けて露天部分に出ると、第二棲息掩蔽部があります。ここの作りは、手前にあった第三棲息掩蔽部と全く同じ造りになっています。

第二棲息掩蔽部に入って内部から入り口を振り返ると、左右の下側に換気用の吸気口があいています。入口側から入ってきた空気は、一番奥の天井部分に地上に続くスリットが設けられて排気されています。特にファンなどを設けた強制排気ではなく、負圧を利用した自然排気です。一昔前の電車の天井についたベンチレーターと同じで、地上部に顔をだした排気口に風が吹くと排気口内に負圧が生じて、内部の空気が自然に吸い出されます。海に近く、風が止むことは少ない土地柄から、これで十分だったのでしょう。

130第二棲息掩蔽部吸気口.jpg

次の写真は、地上部部にある排気口です。実際は上部が地面に顔を出しているだけです。

139地下施設外部排気口.jpg 

さらに二つ目の隧道に入ると、左手には第一弾薬庫があります。ここも第二弾薬庫と造りは同じです。さらに進むと露天部分に出て第一棲息掩蔽部がありますが、ここも第三、第二と同じ造りです。

注目すべきは、ここの吸気口に単弁の桜の刻印が残されていました。

入口の井戸に残っていた複弁の刻印と同じく小菅集治監で焼かれた煉瓦です。残念なが単弁と複弁の違いは判っていません。

140棲息掩蔽部に残る単弁桜の刻印.jpg

第一棲息掩蔽部の先は、右翼観測所・陸正面砲台に続く隧道となり、緩やかなカーブを描いて上り坂になっています。わずか数十メートルとはいえ、カーブしながらの上り坂のトンネルを穿つというのは、高度な技術があったのですね。

この隧道の出口手前に第一貯水槽と濾過槽があります。

この濾過槽のアーチも隧道がカーブしていることから、斜架拱で積まれています。

さらに隧道の出口部分も斜架拱で積まれています。

134右翼観測所連絡隧道出口斜架拱角度.jpg

ここで起拱角(煉瓦の積まれたねじりの角度)と隧道の斜架角(交差する角度)がどういう関係になっているのでしょうか。

斜架角をθ、起拱角をβとすると、以前にもアップしましたが、次の関係が成り立ちます。

tanβ=2/(πtanθ)

100起拱角の図面.jpg右翼観測所方面出口の斜架角は、地図から読み取ると69度(図の59度は誤り )です。

上の式にこの角度を当てはめると、起拱角の理論値は、13.7度となります。

実際の起拱角をスマホの傾斜計で図ると18.9度となりますので、理論値よりもねじれが大きいことが判ります。


もう一か所、最初に戻って第三砲台に繋がる交通路の斜架拱について検証してみましょう。

斜架角は、地図から読み取ると、78.5度です。

上の式に当てはめると、起拱角の理論値は7.4度となります。

スマホの傾斜計は13.3度を示していますから、こちらも理論値よりもねじれが大きいことが判ります。

さてさて、残るは砲台上部の様子ですが、結構な分量になってしまったので、一度ここで区切らせていただきたいと思います。

残りもできるだけ急いでアップしますね。



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