間に合わせ [我が愛しのWillys M38]
煉瓦の話をまとめていたら、気がついたら日付が変わりそう・・・間に合わない!!
そこで急遽写真の羅列です。
2012年12月に開催された旧車祭から、未発表のものを何枚かアップします。
毎日コンビにめぐりをしているのですが、いまだ発見できずにいます・・・ucc・・・いったいどこに行ったら・・・
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク11 上野・荒川編4 上野から荒川への移動 [煉瓦研究ネットワーク東京]
東京藝術大学1号館、2号館を見学させていただいた後は、過去の取り壊した建物の煉瓦の集積所に案内されて、調査した。
一部は芸大だけではなく東大で取り壊された建物の煉瓦も集積されている。
一つ一つ手に取り、刻印の有無と、刻印の形を確認する作業にしばし熱中した。
上の写真には、☆に漢数字の『二』が入っているのがお分かりだろう。
漢数字は、数種類が存在したが、この☆の刻印がどこの工場で生産されたものか、判明していない。
土にまみれたこんなものもあった。
許可をいただいて水道水で洗ってみると・・・・
鮮やかな濃い煉瓦色が浮かび上がってくる。
常滑で焼かれた煉瓦のようだ。
しっかり焼き閉められていて耐水性があり、水周りで使われた煉瓦と推定される。
非常に名残惜しかったが、次の予定地荒川区へと向かうため、谷中霊園の中を通って鶯谷へと向かった。
途中こんなものを見つけると、ついつい足が止まってしまう。
吉田屋酒店は、1910年(明治43年)に建てられ、その後昭和に入り改築され、1987年(昭和62年)に現在地に移築復元された。
明治期の商家の造りがよくわかる貴重な建物だ。
天王寺跡には、往事の写真が掲出されていた。
以下の2枚は、現地に掲出されている写真である。
最初の五重塔は、1644年(寛永21年)に建立されるが、1772年(安永元年)に大火で失われる。
その後1791年(寛政3年)に再建された五重塔は関東大震災に耐え、第二次世界大戦の空襲にも焼け残ったが、1957年(昭和32年)7月2日に放火により消失した。
現在は礎石が残っているのみである。
鶯谷からは、京成電車に乗って移動する。
町谷で都電に乗り換えると、しばし撮り鉄三昧!!
都電に乗って着いた先は・・・
さて、ここでどんな煉瓦の構築物と出会うのか!?
・・・つづく
ウィスキー樽で貯蔵した日本酒
ここのところ、仕事から帰ってきて、お風呂からでると、もう何もしたくなくなってしまいます。
ブログを更新するのも大変(^^;・・・
今日も手抜きになってしまいました。
日曜日に、先日ご紹介した枇杷をいただいてみました。
店頭で販売しているものより小ぶりですが、今年はみずみずしくて味が濃く、しかも甘くてとても美味しくできました。
グミもいただきましたが、こちらは多少エグミが残ります。
さらに庭の地面をみると杏が落ちていたので、見上げると・・・
今年はあまりなってないようです。
巨峰も大きくなり始めました。
ブドウは手をかけるのと、かけないのとではこんなに違うのかというくらい出来に差が出てきますが、残念ながら手入れをしてあげる余裕がありません。
最後に先日職場のPXで、お昼休みに新潟の物産展が行われていました。
レルヒさんも登場です。
しかしのっぽさんだなぁ(^^)
とっぴーやくまもんなども来たことがあります。
ぜひ、ゆうさいくんやバリィさんにも来て欲しいなぁ・・・・
ということでぶらぶら見ていたら、こんなお酒を発見!!
ウィスキーを醸造した樽に日本酒を貯蔵して熟成させた日本酒です。
もちろん、日本酒に樽に染み付いたウィスキーが流れ出し、なんともいえない芳醇な味と香りです。
常温でいただきましたが、これからの季節、冷蔵庫で冷やして頂くのが最高かも知れません。
ささやかに自分へのご褒美としていただきました。
後継車7 発表!! [我が愛しのWillys M38]
これには色々な理由があるのですが、素敵な妖精さんがさっと一振り、杖を振っていただいたようです。
そこで、日曜日の自治会の役員会が終わると、ディーラーさんへと向かいました。
さて、次の写真はなんでしょう?
もうお分かりですね。
これは、ハマーH1です。 これはディーラーさんの車を、本日試乗させていただいたもので後継車ではありません。
今回新車、旧車から中古車まで多種多様な後継車をリストアップし、実際試乗したりしました。
FJクルーザー
メガクルーザー
ハマーH1
ディフェンダー
ランドローバー
ロータス7
ロータスヨーロッパ
Audi A7
ゲレンデヴァーゲン
キューベルワーゲン(インターメカニカ)
Jeep Wrangler JK
などです。
今回後継車を選定するに当たって、一番のコンセプトは『楽に遠出が出来る車』ということでした。
しかし、もちろんのこと単なる『移動手段(道具)』としての快適さを追い求めるだけでなく、そこには『走る喜びと運転する楽しさ』が無ければだめです。
『楽に遠出ができる』というコンセプトは、私も歳をとってきたということでしょうか?
この中から実際に試乗したのがAudi A7 、ランドローバー、Jeep Wrangler JK でした。
Audi A7 はそれは素晴らしい車でしたが、私のフィーリングにはあいませんでした。
ランドローバーは旧車で、シャーシからガレージショップで組んだ世界に1台しかない珍しいものでした。
乗るにはちょっと気合が必要でしたが、ランドローバーには大きく心動かされました。
さぁ、どうしよう。
悩みに悩みぬいた結論は、次の写真です。
さて、車好きの方には、これでお分かりですね。
この車もフロントウィンドーは倒れるようになっています。
上の写真のタイヤとホイールは使いません。
お邪魔したときは整備場に入っていましたが、外に出していただきました。
ボンネットの上は、未だシールが貼られています。
サハラにするか、スポーツにするかこれまた悩みましたが、オフロード走行も多いので、フェンダーが無塗装の樹脂製のスポーツにしました。
フェンダーがボディーと同色もなかなか捨てがたいものがありますが、黒とコマンドグリーンのツートンがなかなかいいと思います。
非常に進化していながら、サイドブレーキも四駆の機構も電気仕掛けではありません。質実剛健でありながら、最先端のいいものも取り入れつつ、完成度の非常に高い車になっています。ダッシュボードやハンドル周りがマイナーチェンジされて、より質感の高いものになっている点も、決断した理由の一つです。
これから、改装に入ります。
約2週間かけて足回り中心に改装し、6月30日に納車と決定しました。タイヤ、ホイール、ショックなどは一新します。
どこをどんな風に改装するのかは、納車後においおいとアップします。
後継車について、皆様方のご想像は的中したでしょうか?
長く答えを引っ張ってきて、申し訳ありませんでした。
私的には、今考えられる最善の選択をしたのではないかと思います。
7月には、このJKで、山口に旅立ちます。
片道1000km、楽しみです。
・・・・帰りに今治に寄りたいなぁ(^^)
民生ジープの歴史 [我が愛しのWillys M38]
15日土曜日は、ナイアガラに乗務しその後ちょっと立ち寄るところがあったため、帰宅するのが遅くなってしまいました。
そこで、今日は写真の羅列・・・あれ、羅列する写真がない(^^;・・・ので、文字の羅列です。
まったく写真がないのもさびしいので、何かアップしましょう。
昨日の記事で、初めて誕生した民生用のジープ『CJ-2A』、『CJ-3A』をご紹介しましたが、CJとはCivilian Jeep(シビリアンジープ)の略であることをお話しました。
このCJシリーズは、1986年まで生産が続きます。
1987年にクライスラーの傘下に入ると、CJシリーズからYJシリーズへと進化し、同時に『WRNGLER』という名前が与えられます。
『YJ』は、『CJ』のような意味は無く、単なる開発コードであると、ジープ輸入の正規代理店チェッカーモータースのHPで説明されています。
⇒http://www.chrysler.jp/history/
YJは、1987年から1996年まで販売されましたが、なんといっても一番の特徴は、角目だったことではないでしょうか!?
1997年になると『TJ』シリーズが発売され、丸目に戻ります。
その後2007年にWRNGLERの三代目となる『JK』シリーズが発売され、現在に至っています。
JKシリーズが発売された頃クライスラーは、『ダイムラークライスラー』となっていたことから、ダイムラーの血が融合し、非常に完成度の高いジープになったといわれています。
このYJ、TJ、JKは、単なる開発コードなんでしょうか?
開発コードだとしても無意味な言葉は付けず、そこには開発者の意図するところがあったはず。
ここのところを、もう少し調べてご報告させていただきたいと思います。














































