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東京の坂と橋 101・・・三分坂 [東京の坂と橋]

11043763.jpg坂と橋の話も右のインパクトのある写真の『幽霊坂』から始まって、ついに100話目を迎えた。
『東京の坂と橋』シリーズは、本編の他、番外編32話、四方山話19話があるので、合計151話になる。

以前本編1話から50話までのインデックスを作ったが、近々、51話から100話までと番外編、四方山話のインデックスをアップしたい。

ここまで続いたのも、皆様のご訪問、nice、コメントによる応援を頂いた賜物である。
今年に入ってからは、2月1日以降皆勤賞でアップしている。
その前の月の1月も、21勝10敗と勝越ししている。
どこまで皆勤賞が続くか、意地の見せ所だ。

毎日記事をアップするようになってから、ご訪問いただく数もだいぶ増えたが、なかなか思うようにこちらからの訪問が儘ならず、不義理をしてしまうケースもある。
この場を借りてお詫びしたい。

さて、この坂の話は、『幽霊坂』にはじまったので、100話目も『幽霊坂』で飾りたかったのだが、残念ながらここしばらく坂巡りをする時間がなく、既存のストックからアップしている状態である。
幽霊坂の取材を待っていると、なかなか先に進まないので、ストックの中からここのところ、赤坂界隈の坂が続いているので、赤坂TBSの南側にある『三分坂』を取り上げた。
100話目にふさわしいように、色々調べてのアップである。

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
三分坂さんぷんざか港区赤坂5丁目北緯35度40分16秒東経139度44分00秒100m16m

三分坂.jpg

三分坂江戸.jpg

《三分坂》
三分坂は、赤坂TBSの南側に位置し、青山通りから薬研坂を下って上った先にある。
坂の途中で90度右に曲がって一気に下る坂だ。
上の江戸時代の切り絵図と現代の地図とほとんど道筋が一致している。

DVC00111.JPG

DVC00023.JPG三分坂は港区の設置した標識によると、 
「急坂のため、通る車賃が銀三分(さんぷん・百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説もある。」とある。
ここで、「???」と思われた方は、江戸時代の通だ。

江戸時代、1両は4分であるから、3分は3/4両ということになる。
江戸時代の貨幣価値が、現代と比較してどの程度になるのかというのは、現代と同じ商品やサービスがあったとしても、世の中の仕組みや人々の暮らし向きが違うため、単純に比較できない。

江戸中期の一両を現代に通じるものでの比較をすると
 米 価・・・1両=4万円
 賃 金・・・1両=30~40万円 (大工の手間賃)
 そば代・・・1両=12~13万円
また、米価から換算した1両の価値は、江戸時代の各時期により差が見られる。
 江戸初期・・・1両=10万円
 江戸中期~後期・・・1両=3~5万円
 幕末期・・・1両・・・3~4千円
(日本銀行金融研究所貨幣博物館のホームページより)

 

仮に幕末の米価換算の貨幣価値でみたとしても、3/4両というのは、1000円強ということになり、この坂を通る通行料としては、法外な値段となる。
乃木希典大将は、現在の乃木神社のある自宅を人力車で出発し、乃木坂を下って、ここ三分坂を登り、この先の近衛歩兵第三連隊へ通った記録が残っている。
⇒東京の坂と橋14 乃木坂と乃木大将についてはこちらをご覧ください 
その際、子供好きな乃木大将は、後押ししてくれた少年の頭をなでてあげたという。

港区の設置した標識に『車』とあるのは、人力車と解すると、坂下に小遣い銭稼ぎの子供達がいて、坂を登る人力車の後棒を担ぎ・・・後押しして、駄賃をもらっていたのではないだろうか。
そういう風景が見えてくると、『三分』というのは、『三割り増し』と考えられる。その割増料金の中から、車夫が後押しの子供に駄賃をあげたと考えると、すっきりするのではないだろうか。

DVC00019.JPG

実は、港区の設置した標識は2008年(平成20年)、14年ぶりに立て替えられているが、立て替えられた際、「さんぶでは四分の三両になるので誤り」と書き加えられた。

DVC00024.JPGDVC00026.jpg

《報土寺》
報土寺は、三分坂下にある古刹で、山号は咲柳山という。
寺の前には、東京都教育委員会の設置した標識が立っている。
その標識には、次のようにしるされている。
DVC00013.JPG「港区の文化財 報土寺 築地塀(練塀)」
報土寺は、慶長十九年(一六一四)に、赤坂一ツ木(現赤坂二丁目)に創建され、幕府の用地取り上げにより安永九年(一七八○)に三分坂下の現在地に移転してきました。この築地塀はこのころに造られたものといわれています。築地塀とは、土を突固め、上に屋根をかけた土塀で、宮殿・社寺・邸宅に用いられる塀です。塀のなかに瓦に横に並べて入れた土塀を特に「練塀」ともいいます。
 報土寺の練塀は、坂の多い港区の中でも特に急坂として知られる「三分坂」に沿っ造られており、塀が弓なりになっている珍しいものです。練塀は区内では残されているものが少なく、江戸の寺院の姿を今に伝える貴重な建造物といえます。

三分坂側に標識に説明のある練塀があるが、坂に沿ってたったいる。
ここで、この写真を見て違和感を覚えないだろうか?

DVC00021.JPG

坂に設置されたガードレールと、練塀の角度が違っているのである。
これは、もともと坂に沿って練塀がつくられたことから、江戸時代の坂の角度を表しているといってよいだろう。
ところが、その後坂道が改修されて角度がややゆるくなったことを示している。

DVC00018.JPG

報土寺にある有名なものは、この練塀だけではない。
寺の境内に入ると、またまた次のような標識が立っている。
雷電墓.jpg「雷電為右衛門の墓」
明和四年(一七六七)信州(長野県)小諸在大石村に生まれた。生まれながらにして、壮健、強力であったが、顔容はおだやか、性質も義理がたかったといわれる。天明四年(一七八四)年寄浦風林右衛門に弟子入りし、寛政二年(一七九○)から引退までの二十二年間のうち大関(当時の最高位)の地位を保つこと、三十三場所、二百五十勝十敗の大業績をのこした。雲州(島根県)松江の松平侯の抱え力士であったが引退後も相撲頭に任ぜられている。文化十一年(一八一四)当寺に鐘を寄附したが異形であったのと、寺院、鐘楼新造の禁令にふれて取りこわさせられた。文政八年(一八二五)江戸で没した。

そう、ここ報土寺には、江戸時代の力士『雷電為右衛門(らいでんためえもん)』の墓がある。
江戸時代後期の力士で26年間の力士生活の中、敗れたのはわずか10回、生涯勝率は9割6分2厘と、大相撲史上最強の力士といわれている。
それだけの実績を上げながら、横綱免許皆伝を受けなかったのは、大相撲七不思議のひとつである。
富岡八幡宮の横綱力士碑には、「無類力士」として顕彰されており、横綱と同格に扱われている。

資料によると身長は197cm、体重は170kgと現代の体格と比較してもかなりの大男だったようだ。
雷電とここ報土寺のつながりは、文化年間に消失した鐘を、雷電が送ったことによる。
残念なことに、その鐘には「天下無双雷電」と記されていたことから、幕府の怒りをかい、壊されてしまったという説もある。

1908年(明治41年)に復元され、第18代横綱大砲万右ェ門が一番鐘をついている。
その後1943年(
昭和18年)に戦時下の金属回収に供出された。
当時の住職は最後の鐘を涙を流しながら突いたという。

DVC00009.JPG

写真正面中央に写っている屋根が鐘楼だ。

その後1988年(昭和63年)、たまたま港区史跡めぐりの一行が、東京都あきる野市戸倉にある普光寺を訪れた際、同時にあった鐘に「東京市赤坂咲柳山報土寺」と記された鐘があるのを発見する。

ここ普光寺も1944年(昭和19年)に鐘を供出したが、戦後つぶされなかった鐘を供出した寺に関係なく抽選で配られたものだった。
その後両寺の話し合いにより、1989年(平成元年)12月に、46年ぶりに報土寺に戻り、その一番鐘を第58代横綱千代の富士貢が突いた。
残念ながら、46年前に鐘を涙で送り出した住職は亡くなり、その子息に代は変わっていた。

実は、涙で鐘を送り出した先代住職は子供好きで、毎年夏には、あきる野市の普光寺近くの戸倉キャンプ場で「子供キャンプ村」を開いていたという。
その際、普光寺から伝わってくる鐘の音を聞いて、「なんと素晴らしい鐘の音か。」と、いつも聞き入っていたという。
きっと先代住職と鐘は心で結びついていたのだろう。

100話目にふさわしい「ちょっと良いお話」で結ぶことが出来たと思う。
まだまだ東京には面白い坂と橋がたくさんある。

坂は、人の歩む人生の山谷であり、橋は人と人を結びつける絆である。
次は200話を目指して、人生の機微に触れるような話しを掘り起こしながら書き続けられるよう頑張りたいと思う。


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くまら

今日は押し逃げ失礼します^^;
by くまら (2009-08-14 00:20) 

yuki999

東京に行く機会があれば、
駅員3 さんと会ってみたいです。
by yuki999 (2009-08-14 01:27) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

いつも詳しい説明に感心しております。
200話目指して頑張ってください。
by BPノスタルジックカーショー (2009-08-14 05:27) 

駅員3

くまらさん、ナカムラさん、xml_xslさん、yuki999さん、me-coさん、Krauseさん、takemoviesさん、BPノスタルジックカーショーさん、nyancoさん、Yukiさん、いわもっちさん、shinさん、おはようございます。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒くまらさん
どういたしまして、ご訪問、ありがとうございました。

⇒yuki999さん
東京に来られる際には、ぜひご連絡くださいませ。
お待ちしております。

⇒BPノスタルジックカーショーさん
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
by 駅員3 (2009-08-14 07:48) 

sak

100話目おめでとうございます
坂のひとつひとつに歴史があるって
駅員3さんのおかげて知ることができました
これからも楽しみにしています
by sak (2009-08-14 11:00) 

やまがたん

幽霊坂は結構東京では有名な坂ですよね^^
これからも坂のお話宜しくお願いします
訪問ありがとうございます^^
( ゚∀゚)o彡°応援ポチッと☆ランキングゥ☆
by やまがたん (2009-08-14 11:15) 

空楽

いつも訪問くださりありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
              空楽父
by 空楽 (2009-08-14 15:54) 

mwainfo

手抜きせず、取材する記事に脱帽です。連日アップの時間と労力も見習わねばなりません。
by mwainfo (2009-08-14 16:26) 

qoo2qoo

こんにちわ☆
いつもありがとうございますo(´▽`*)/
100話目、おめでとうございます♪ 幽霊坂、夜に行ってみたいかもです!?
by qoo2qoo (2009-08-14 18:35) 

さなゆき

三分坂、、
オイラはここで雨の日滑って転びそうになりました
・・・どうでもいい話です、すいません(´;ω;`)
by さなゆき (2009-08-14 19:24) 

abika

100話目~おめでとうございます^^ キリ番は、気分がいいですよね。 
いつも、くわしいお話ありがとうございます。
by abika (2009-08-14 20:50) 

空兵ーS

坂の話、100本目とは凄いですね。
それにしても東京には
坂や橋や川がどれくらいあるのでしょうか。
東京の地名にはいつもロマンを感じます。
by 空兵ーS (2009-08-14 22:01) 

さといも野郎

小遣い稼ぎの子供たち、昔は人と人のつながりがいっぱいありましたね。
by さといも野郎 (2009-08-15 08:06) 

kiyotime

おお、ついに100件突破ですね、、おめでとうございます。
ここは確かにキツいですね、、
ところで、現地で取材していて一番勾配がキツかった
坂ってどこでしょうか? 
by kiyotime (2009-08-16 02:06) 

駅員3

はくちゃんさん、八丁堀さん、みかんママさん、やまがたんさん、enosanさん、リンさん、お茶屋さん、sakさん、HALさん、jun-arさん、genさん、小父蔵さん、空楽さん、mwainfoさん、mydreamtodayさん、qoo2qooさん、☆たっちゃん☆さん、ほりけんさん、甘党大王さん、釣られくまさん、かいさん、さなゆきさん、abikaさん、単騎さん、空兵-Sさん、junさん、kazukazuさん、タイドマンさん、さといも野郎さん、yukitanさん、takagakiさん、kiyotimeさん、こんにちは。

⇒sakさん
ありがとうございます。
自身の好奇心を満たすべくはじめたブログですが、そういっていただけると、励みになります。

⇒やまがたさんさん
そうですね。
東京の幽霊坂を制覇したら、全国に目を向けていきたいと思います。

⇒空楽さん
ありがとうございます。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

⇒mwainfoさん
ありがとうございます。
そういっていただけると、励みになります。
これからも、頑張って調べていきたいと思います。

⇒qoo2qooさん
「幽霊坂」の名前は、江戸時代から続くものが多く、現代の「幽霊坂」は、結構賑わっていたりします。
今まで回った中で、「夜歩くと・・・何か出そうだ」と思ったところは、一箇所しかありませんでした(^^)

⇒さなゆきさん
それは大変でした。
ここはかなりの急坂ですもんね(^^;

⇒abikaさん
ありがとうございます。
一区切りついた気持ちですが、都内にはまだまだたくさんの坂があります。

⇒空兵-Sさん
そうですね、数えたらきりがないくらいあるでしょうね。
だから、このブログもおそらくエンドレス・・・(^^;

⇒さといも野郎さん
そうですね、町には人情が溢れていたと思います。

⇒kiyotimfeさん
今インデックスを見ながら振り返ると、一つ一つの坂が目に浮かんできます。
中でも急さかは、文京区本郷の胸突き坂、文京区関口の胸突き坂、そして、ここ港区赤坂の三分坂が急かと思います。
by 駅員3 (2009-08-18 11:34) 

Cialis prices

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